2014年9月29日月曜日

娘とゲーセンに行く素晴らしさについて。

 ヒマを持て余している娘と車に乗ってゲームセンターに行って来た。壮絶なるイヤイヤ期を経て少しずつ成長しつつあるのかな…という3歳の長女。
 僕の父は長女を「女帝」と呼ぶ。まったく物怖じせずに無理を通しまくる態度と、それでも父や僕をして数々のおもちゃや果物や洋服をプレゼントさせずにはいられない存在感が、この異名の所以である。
 
 さて、車に乗り込むや「プリキュアの曲。」とリクエストする女帝。述語はない。彼女用のCDRをカーステレオに入れながら「何を聴く?」と訪ねると「えりえんど、ともだち」という。「永遠の友達」である。舌足らずなのと、プリキュアの歌詞なんて全部意味が分からないのに音だけで言葉を覚えているのでこうなるのだ。ちなみに「ラブリー、プリティ、イェイかわいい」は「ダブリピーピーイェイかわいい」である。
 
 そんな舌足らずが一所懸命歌う声が運転席後方のチャイルドシートから聞こえて来る。「ときをーこえてーちからあわーせー、ちゅーなーがーるきじゅーなー」

 それだけでもう限りない多幸感で僕などは胸がいっぱいになる。
 ただプリキュアの曲って、女の子ものとはいえ正義の味方だから、歌詞は全部ド正論なんだよね。全く意味わからず歌っている声とあまりにもアンバランスで笑える。
 まあ僕も子どもの頃、スカイライダーの歌が好きだったけど、「君は何に賭け、何と戦うか 」とか意味不明だよね。
 さて、やっとルールや操作が飲み込めて来た様子の娘がやるものは決まっていて、プリキュアのカードが出る ゲームである。アンパンマンのゲームがあればそれもやる。
 娘が自分と一緒にゲームセンターに入って、100円を入れて椅子に座る。その素晴らしさとかけがえの無さが分かるだろうか。

 かつてゲームセンターはもちろん僕らの理想郷だった。僕の年齢だと、「不良」に紛れてこっそりゲームしてた時から、ファイナルファイトで人が増えて、スト2で一気にメジャーになって、バーチャやUFOキャッチャーで出入りする人がほぼそう取っ替えになって、プリクラが溢れて閉め出されて…という時期を目の当たりにしているわけだけれど、やっぱりそこは僕らのゲームセンターだ。

 僕は別にモテなかったから、「ガールフレンドとゲーセンに行く」などという大それたことを初めてしたのはかなり後だ。やるのがシューティングやアクション、格ゲー、たとえプライズゲームにしたって、とにかく僕らは1クレジットに如何に集中し、どう自分の感覚を研ぎすまして行くかという作業をしていたわけだから、彼女と遊びに行ってそれをする神経がもう分からなかった。
 バーチャぐらいからかな、あか抜けた服装をした大人が派手な格好の彼女を連れて来て、しかもけっこう上手かったりして、なんだこの人たちは…と思ったのは。でも、ああなりたいとか、上手くなったら彼女ができるとかは思わないよね普通。そういうのは「別な人類」という括りだった。
 
 まあとにかく彼女とゲーセンに行くというのは僕にとっては裏切りみたいな行為で、最初は何だか後ろめたい気分になって、プライズしかやらなかった。あとはクイズゲームとかね。二人でできるものとか、二人で楽しめるものだけ少しやって帰る…みたいな感じだった。それでも自分は彼女とゲームセンターに来ているんだ、思えばはるばる来たもんだという感懐はあった。

 さて、3歳の娘とゲーセンに行くのは彼女の場合と何が違うか。年齢…というのもあるだろう。若いコはやはり良いものである。
 大きく違うのは、僕がゲームを全くやらず、娘のやるのにカードを用意してあげたり、お金を入れてあげたりするというところか。じゃあ僕は女の子が一所懸命ゲームをするのを隣で見たかったのか?僕はゲーセンに連れられて行って、隣の席に座りたかった…?倒錯なり転倒なりが起こっているのだろうか。なにはともあれ同時プレイじゃないのに二つ席を使っていると店員やゲーマーににらまれるんじゃあるまいか 。

 娘とプリキュアのゲームを何度か連コインしたあと、ふと思った。きっと僕の父が子どもの僕を映画館に連れて行ったとき、マンガを買い与えた時、あるいはこんな気持ちになったかもしれない。そこには形はないけれど確かな伝承とでもいうべきものがあったに違いない。それは釣りであったかもしれないし、祭りやキャッチボールであったかもしれない。
 
 先日、娘と足を運んだきゃりーぱみゅぱみゅのライブの時の感覚、3月に二人で行ったプリキュアオールスターズの映画 で座席についたときのあの気持ち。その正体が分かった気がする。Carry on my wayward daughter .

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